| ☆92年の大谷晋二郎☆ |
91年の入門テストに合格した大谷晋二郎。新日本プロレス4ヶ月後、ついにデビューする事になる。
6月25日、福島県体育館にて山本広吉(後の天山広吉)戦でプロレスラーとしてデビューする。試合は6分32秒、逆エビ固めで敗戦した。
そして初勝利は10月18日、幕張メッセイイベントホールでの小島&大谷vs山本&永田戦。(小島が永田から片エビ固めで勝利)シングル戦は11月の新潟大会での対永田裕志戦、10分31秒、逆エビ固めで勝利した。
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| ☆93年の大谷晋二郎☆ |
3月にヤングライオン杯に初出場する。(3勝4敗)
その後、ジュニアに抜擢され、トップ・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場する事になる。(成績は2勝8敗)
そしてこの年のG1にて『大谷晋二郎 両国試練5連発』と銘打たれた、シングル5連戦に挑む事になる。相手はライガー、サムライ、N・カサス、E・エンヘンドロ、E・ゲレロの5選手。成績は1勝4敗となった。(エンヘンドロに勝利)
また、この年は新日本vsWARという団体対抗戦が行われ、WARの折原昌夫との名勝負がファンを熱くさせた。
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| ☆94年の大谷晋二郎☆ |
3月にヤングライオン杯に出場する。(2勝4敗)
そして4月にJ−Cupに出場、1回戦でスペル・デルフィン対戦、負けてしまい1回戦で敗退する。
5月にはベスト・オブ・スーパージュニアに出場、成績は5勝5敗だったもの、B・タイガー、W・ペガサス、サムライと当時のジュニアのトップクラスから次々と勝ち星を挙げ、急成長を成し遂げた。
そして10月には初のジュニアタッグリーグが開催され、大谷はW・ペガサスのコンビで出場、見事に優勝する。
そのシリーズ最終日、両国国技館で保永昇男の保持するIWGPジュニアシングル王座に初挑戦するが、シリーズ中で痛めた膝を集中的に攻撃され、無念のレフリーストップで敗戦、残念な結果となってしまった。
しかし、12月の大阪大会で保永の保持するUWAミドル級王座に挑戦し、見事に勝利。レスラーになって初めて自分の腰にベルトを巻く事ができた。
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| ☆95年の大谷晋二郎☆ |
1月4日の東京ドームでのサムライ戦、2月の両国国技館でのG・浜田戦と2度の防衛に成功した大谷晋二郎。
そして、この年のドーム大会で凱旋帰国した金本浩二との抗争が勃発、その集大成として3月の広島大会でのIWGP(金本)とUWA(大谷)のダブルタイトルマッチが決定した。凱旋帰国してからタイトル戦までの対金本戦(シングル)の成績は大谷の全勝、大谷有利と見られていたが、金本のドラゴン・スープレックスで敗戦。UWAのタイトルを失う。
しかし、この年のスーパージュニア。準決勝で金本を破り、3月のリベンジに成功と同時にスーパージュニア初の決勝進出となる。そして決勝戦、善戦健闘はするもの、ペガサスのツームストンパイルドライバーの前に敗戦、結果は準優勝だった。
そして、前年9月にケガをして以来欠場していたライガーが復帰、大谷&金本vsライガー&サムライというジュニア世代闘争が勃発する。そんな中、遂にライガーからシングル戦初勝利を挙げる事ができた。
それと同時にUWFインターとの抗争が勃発、大谷は山本健一との抗争が世間の注目を浴びた。
この年の暮れには第2回J−Cupが開催。1回戦の望月成晃戦に勝利したが、2回戦のU・ドラゴンに敗戦してしまった。
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| ☆96年の大谷晋二郎☆ |
1月の後楽園でE・サムライの保持するUWA王座に挑戦したが敗戦してしまう。しかし、ジュニア世代闘争はますます激化していった。
この年の3月のシリーズではIWGP挑戦、ヤングライオン杯出場、WCWクルーザー級王座決定戦と1シリーズに3度のチャンスが訪れるに…が、IWGP(ライガー)に挑戦したが敗戦、ヤングライオン杯も決勝進出にはならなかった。そんな中、ペガサスとWCWクルーザー級初代王座決定戦で対戦。新技スワンダイブDDTで勝利、初代王者となった。
が、アメリカ(D・マレンコ戦)で防衛に失敗、ベルトを失う。そして、金本浩二がケガのため長期欠場が決定、ジュニア新世代軍は大谷晋二郎一人になってしまう。
そんな中迎えたこの年のスーパージュニア。公式戦ではライガーに敗れたもの、B・タイガーに勝利、決勝まであと一歩のところまできたが、公式戦の最後の相手、保永に敗戦、決勝トーナメントに進む事ができなかった。
しかし、ジュニアのタイトル戦だけの興行、SKY DIVE−JでUWA王座決定戦に出場、桜庭和志を破り王座獲得となった。そして、この時にライガーがG1での8冠統一トーナメントを提唱、その8冠トーナメントに出場する事になる。
1回戦のN・カサスに勝利した大谷だったが、準決勝のU・ドラゴンに敗戦。王座獲得には至らなかった。
そのトーナメントで優勝し8冠追王者となったG・サスケに挑戦が決定、しかし、サスケのケガで中止になってしまった。
その後、8冠タイトルはサスケからドラゴンに移動するが、ケガが完治していないの防衛戦を行ったサスケ、また挑戦者にふさわしくない相手と防衛戦を行ったドラゴンに異論を唱える。
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| ☆97年の大谷晋二郎☆ |
1月の東京ドームで田尻義博と対戦し勝利した大谷晋二郎。この頃くらいからマスコミに『名勝負製造機』と言われるようになる。
そして、ドーム大会でドラゴンからライガーにベルトが移動、そのライガーへの挑戦が決定した。(8月・札幌)試合はライガーの掌打11発で負けてしまったが、この試合で価値が下がりかけていた8冠のベルトが少しずつ上がっていくようになった。そしてジュニア世代闘争もますます激化していった。
その世代闘争が激化する中行われたスーパージュニア。今年こそは金本浩二との決勝戦を胸に秘め、あと一歩のところまで行った大谷だったが、公式戦最後の相手、E・サムライに敗戦、決勝進出はできなかった。
そして8本のベルトが7本に減り、ライガーからサムライにベルトが移動、そのサムライへの挑戦が決定した。(8月・名古屋ドーム)
試合はスワンダイブDDTからドラゴンで勝利、見事に第5代7冠王者となり、初めてIWGPジュニアシングルチャンピオンのベルトを巻く事ができた。
その後、金本浩二、高岩竜一、W・ペガサスと防衛したが、7冠が解体、IWGPジュニアシングル王座のみ保持する事になってしまう。
同時期にケンドー・カシンがジュニアに参戦、大谷、金本、高岩vsライガー、サムライ、カシンという抗争が激化する事になる。そして12月の大阪大会でカシンを相手に防衛戦を行う事になる。ノンタイトル戦では負けを記してしまったが、この防衛戦ではしっかりと防衛に成功し、チャンピオンとして年を越す事になる。
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| ☆98年の大谷晋二郎☆ |
1月の東京ドームではU・ドラゴンと防衛戦を行い、防衛に成功したが、2月の札幌大会でライガーに敗戦、ベルトを失う事になってしまった。
そして、スーパージュニアでは今年こそ金本浩二との決勝を胸に挑んだか、初戦のD・ワグナーJrに敗戦してから思うように勝ち星を挙げる事ができず、結果2勝3敗と決勝進出どころか初出場以来の負け越しとなってしまう。
が、この年の夏、IWGPジュニア王座が新設。その初代王座決定リーグ戦に高岩竜一とのコンビで出場。カシン&安良岡に負けるもの、金本&ワグナー、ライガー&サムライに勝利し、大阪ドームでの初代王座決定戦に駒を進める。その決定戦、途中で大谷晋二郎一人vs金本&ワグナーという展開になったりもしたが、最後はドラゴンでワグナーからホール勝ち、見事に初代王者となった。それ以降、C・ジェリコ&B・タイガー、金本&カシン、防衛戦を行い、防衛に成功する。また折原&望月とIJタッグ王座決定戦で勝利し、見事にタッグ2冠王者となった。
そしてこの年の選手会興行(12月)では佐々木健介と初のシングルマッチを行い、負けはしたもの、ファン&マスコミから高い評価を得る好勝負をした。
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| ☆99年の大谷晋二郎☆ |
1月の東京ドームでカシン&ワグナーと防衛戦を行うが敗戦、ベルトを失ってしまう。2月にリマッチを行うが残念ながらベルト奪回にはならなかった。またIJタッグも安良岡&石井に獲れ無冠となる。
その後、3月には地元山口で初の主催興行を開催、大成功を収める。そして4月の東京ドームでは約1年振りにIWGPジュニアシングル王座(金本浩二)に挑戦したが、ベルト奪取には至らなかった。
そして、この年のスーパージュニア。初戦のワグナーに勝っていきなりの全勝優勝宣言をした。その後、折原、カシンと順当に勝ち星を挙げていったが、大阪大会で田中稔に敗戦してしまう。そして最終戦ではサムライと引き分けてしまい、惜しくも決勝進出にはならなかった。
だが、7月の岩手大会ではライガー&サスケの持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦、見事に勝利し、半年振りに王座返り咲きとなった。(パートナーは高岩竜一)その後、ライガー&サムライ、金本&田中を相手に防衛戦を行い、防衛に成功した。
が、この年の10月、ライガーが新日本ジュニア批判し戦線を離脱。このライガーの行動に怒りを爆発させた大谷晋二郎であった。
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| ☆2000年の大谷晋二郎☆ |
1月の東京ドームでカシン&田中を相手にベルトの防衛をした大谷晋二郎。その後2月の札幌大会ではカシン&ワグナーも破り2度の防衛(通算4度の防衛)に成功した。
そして1月にはライガーが凱旋帰国。ドームでは金本を秒殺で破り、ライガーの新日本ジュニア批判が世間を賑せた。そして、大谷晋二郎が先に提唱したにも関わらず『ジュニアでヘビーを食う』という事をライガーにパクられる形となってしまった。
そんな中行われた二人のシングル対決。負けはしたもの、ライガーの殺気を見事に消し去った試合であった。
そして4月の東京ドーム大会では小島聡と対戦。負けはしたもの、ドラゴンスープレックス等で、小島をかなり追い込んだ好勝負となった。
そして、この年のスーパージュニア。高校の後輩藤田穣との対決は、いつも大会の話題の中心であった。そんな中、史上初のリーグ戦全勝で決勝に駒を進める事ができた。しかし、決勝戦で高岩に敗戦、結果準優勝となった。
その後、ジュニアタッグベルトは金本&田中に獲られ、スランプに陥る。そんな中、G1クライマックス最終日にベルトを床に投げ付け、この日を最後に新日本から離脱をする。
新日本離脱後はカナダに向かい、トレーニングを積む。そしてイギリスに渡りALL STAR PROという団体に参戦、団体のチャンピオンを破りインターコンチネンタルチャンピオンとなる。イギリスに1ヶ月滞在した後、またカナダに戻り、トレーニングとカナダのプロレス団体に参戦。そんな中、武藤敬司と対談、お互いに通じ合うものがあり、次の年、1月の東京ドームでタッグを組んで、中西&ライガーとの凱旋帰国試合が決定した。
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